果報は寝て待て の本当の意味
実は
果報は寝て待て
ということわざは
そもそも 間違いです。
「できることをやり尽くしてしまったら、不安に思ったり、無駄に動いたりしない」ことだと
思っている人がほとんどだろうが
本来は
果報とは、仏教の教えで前世での行いが原因となって、現世でその結果となって様々な報いを受けると言うこと。
結局、前世の行いが意味してくるので、今じたばたしても始まらないと言う意味になる。
だが本来の言葉としては
『果報は練って待て』が本当だそうだ。
目標・計画などをよく練ると言うことで、直前にドタバタ 一夜漬けのようなことをするのではなく、地道に学び、習い、磨くと言う日頃の努力なくして果報(よい報い)は訪れないという意味が本来の意味らしいです。
あなたは果報は寝て待っていれば良いと思っていますか?
それとも、前もって先々の事を予測して
事前に準備して努めておく
『果報は練って待て』の方が良いと思っていますか?