目的-現状=ゴールまでのギャップこれが目標に相当する
ゴールを具体的に達成するための手段・方法です。
実は幸福は達成されるような類のものではなく
今 あるこころの状態だと私は考えます。
初めに答えを明かしてしまうと・・・。
何かを達成すれば人は幸福になると考えがちですが
実際にそれを達成しても幸福になることはなかなかできません。
目標が目的とすり変わると
こういう事が良く起こります。
多くのお金持ちが
お金持ちにあれば幸福になれると考えて
一生懸命努力してお金持ちになりますが
実際にお金持ちになったら幸福になったか?というと
むしろ、貧乏で一生懸命 お金持ちになるために
頑張っていた時の方が幸福だったという笑えないような
話が沢山あり私もそういった人たちを嫌というほど知っています。
お金は目的にはなりません。
目的を達成するための手段にはなり得ますが・・・・・。
お金を目的にしてしまった時点でそのゴールは達成することはできません。
お金自体は他のモノやサービスと交換して初めて価値が生じるものです。
なので
なににお金を使うかでお金の本当の価値が出てくるのですね。
お金を幸福のために使う事で
役立てることはできますが
お金自体が幸福をもたらすことはありません。
これは
なにもお金に限った事ではありませんが・・・。
状態とはこころの感情の事だと思います。
そして
感情とは過去の記憶の再生に過ぎません。
今ある感情もかつてどこかで体験したときの
感情を再生しているに過ぎないという
事が殆どです。
私たちの感情は記憶をもとに創られています。
なので
感情は過去の記憶
それがどれぐらい過去のものであるか
分からなくなるぐらい
色々な記憶をつなぎあわせて創られたものです。
脳は私たちが考える以上に
大雑把な部分があります。
特に記憶に関しては
実際に過去の記憶を引っ張り出しさえもしないで
多分こんなだっただろう位のアバウトな感じで
思い出すフリを脳は平気でやってのけます。
初めて会った人なのに
なんだか嫌だな この人とはそりが合わないなというのが直感とよく言われるものですが
一般的に言われている直感も実は過去の記憶の事を指している場合が多いと思います。
過去に出会った嫌な人と
今回初めて出会った人の顔が似ていたという
場合が多かったりするのですね。
話がそれましたね。
幸福は達成されるものではないので
今現在どのような感情を持つことができるかが
鍵になります。
なにに対して幸福を感じるかは人それぞれですが
私が考える幸福な状態は
感謝できるこころが幸福を創りだすと考えています。
感謝とは
『今あるものにフォーカスすること』
不幸な状態は
常に無いものばかりにフォーカスする状態により
生じる感情です。
感謝する人は幸福な人でもあると言えます。
別の言葉で感謝を説明すると
『当たり前の事を当たり前と思わない考えない』事です。
家があることが当たり前と思わない
親があることを当たり前と考えない。
仕事があることを当たり前と考えない。
着るものがあること
食べるものがあること
生きているということ
それがあたち前に思ったり考えたりしてしまうと
不幸が始まります。
何一つあたりまえの事はありません。
あるべくして
あるのですね。
私の馬鹿の定義は幾つかありますが
『失うまで気が付かない』人は馬鹿です。
失って人はいろんなものや人が当たり前ではないことに
気が付いたりします。
失くして初めて気が付くのですね。
これが馬鹿な人です。
私も人の事はあまり言えませんが。
感謝ができない人も
広い意味では馬鹿な人ですね。
失わないと気が付かないわけですから・・・・。
当たり前に何でも見えてしまうかもしれません。
毎日が同じように見えるかもしれません。
でも、明日 その人は死んでしまうかもしれません。
朝 挨拶したのが最後になってしまうかもしれないのです。
そういったことがたまたま無いだけで・・・・・。
死なない人は誰もいないのですから・・・。
家や食べ物も同じです。
大地震や大きな火山活動が起これば
2~3年後には氷河期になってしまうということも
十分に起こりえます。
幸福は
当たり前の日常が当たり前ではない風景に見えることに秘訣があります。
外側の風景が変わる必要はありません。
変わるのは自分自身の観方 1つです。
感情という記憶のデータベースも
書き換えることで
感情をコントロールすることは出来ます。
私たちのベースは東洋の文化が知らない間に
沢山 入り込んでいるからですね。
日の出を観て自然に手を合わせるのも
四季の移り変わりを観て
人生を思うのも
日本の文化であり
素晴らしい感情の記憶の贈り物だと思います。
どうか
自然を愛でて
その中から沢山の事を学ばれてください。
なにも見返りを求めない自然の大地がどれほど私たちに恵みを与えているかを
そういった当たり前の風景の中に
実は大いなる奇跡が隠れていたりするのかもしれませんね。
いつも観ている景色が違って見えるとしたら
それは
とても幸福な事に違いありません。
幸福は今 ある 場所で
体感することができます。
当たり前の幸せを 味わいましょう。